陽に照らされた娘を見たとき、彼女の髪がオリーブがかっていることに気がついた。

ジョン・レノンが伝説として後世に名を残しているのは、彼が死んだからだ。

 

死はそれだけで残された人々に拭えない何かを強烈に残していく。ましてや彼のセンセーショナルな最期は、それが残したものも含めて、言葉を選ばなければ彼の人生に相応しいものだったのではないだろうか。

 

常々思っていることだが、人の命の重さは平等である。それは明白な事実だ(と断言する)。ただ、その大きさには違いがあるのではないだろうか。それはきっと生前(相互的、一方的含め)関わりを持った人数にそのまま比例する。命が球体で死が爆発だとして、直径が大きくなればなるほど爆発に巻き込まれる人数も増えていく。

 

ジョンの死はまだ爆発を続けている。Imgineは反戦の象徴として教科書に載り世代を超えて歌い継がれているし、リアルタイムでビートルズを知らない世代にとってジョン・レノンのイメージはそこに直結しているだろう。それは彼が持つ耳心地の良い、一般的な倫理規範に照らし合わせたときに受け入れられやすい側面だけがスポットライトで照らされている状態であり、彼のステージ上での十八番のひとつが悪意を孕んだ身体障害者のモノマネだったことや、ヨーコに出会う前後の彼がシンシアやジュリアンにした仕打ちが言及されることはあまりない。死は人を神格化するのだ。

 

ところで、私が所属している会社のコミュニケーションツールには、毎日ランダムで質問が投げかけられるという機能がある。ある日、こんな質問が届いた。「あなたにとってのヒーローは誰ですか?」私は何人かの顔を頭に浮かべたが、すぐに該当の人物に思い至る。兄だ。

 

私より8年早く産まれた彼は、小さい頃から親に迷惑をかけたことのない優等生の鑑のような人物だった。成績は常に学年で1位2位を争い、実家の壁には部活動の大会で受賞した賞状が何枚も飾られている。当然の如く高校は進学校だし、狙っていた国立大学にも現役で合格、卒業後は誰もが名を知る大手企業へすんなりと入社した。婚約者もできたようだ。これ以上ない順風満帆な人生を歩み始めた24歳の時、彼は死んだ。

 

そのとき私は16歳の誕生日を迎えたばかりで、あいも変わらず不登校に悩んでいた。彼の死を知らされたその日はたまたま学校に行くことができた日で、5限目の体育の授業に参加していた。担任が神妙な面持ちでグラウンドへ現れて、私の名を呼んだ。職員室へ向かうとそこには強ばった顔つきの母親がいて「○○が亡くなった」と一言だけつぶやいた。私に向けた言葉だったのかどうかも定かではない。あぁ自殺したんだと直感したし、それは正しかった。その瞬間まで兄が自ら死を選ぶことなど想像したこともなかったはずなのに、それはさほど驚くことでもないような気がした。(その感覚は今思えば必然にも近い様々な要因が絡み合った自然な発露だった。)

 

彼の死については折に触れて考え続けているし、今や10年以上が経過している話なのでここでは置いておく。気になっているのは、私にとって兄がヒーローだと感じるのは、彼が死んだからなのだろうかという点だ。私の中の彼は神格化され、功績だけが美化され輝いているのだろうか。彼が死んだ今、いくら頭を悩ませてもきっと結論は出ないだろう。不毛な行いだと分かっていても、それでも思考を止めることは難しい。

 

死に憧れる人がいることは知っている。賛美に値する死に様があることも理解している。それでも事実を選り分ければ、こと若くしての死は絶望しか残さない。そのことを私は深く感じ取る。兄の死は抜くことのできない楔のように私の心臓を貫いている。それと同じくらい、彼が生きていた事実も私の中に足跡を残している。悩み苦しむ期間の方が長かっただろう。心から笑ったことなど数えられるほどかもしれない。それだけ彼は真摯に、誠実に生きていた。絶望の淵に追いやられたその最後の瞬間まで、(文字通り世界中の)誰に対しても胸を張って生きられる道を選び続けていた。その姿こそが私にとってのヒーローだ。そのことは彼も知っていただろう。

 

ヒーローでなんてなくてもよかった。楽に生きてほしかった。他人を傷つけてもよかった。自分や他人が思い描くヒーロー像など、早々にぶち壊してしまえばよかった。期待などかなぐり捨てて、心から愛せる自分と共に生きてほしかった。その彼を私はヒーローと思わないかもしれない。私にとってはヒーローとしての彼の方が価値があるかもしれない。だがそれだなんだというのだろう。ふと頭をもたげる彼に生きていてほしいというエゴが私を苦しめる。

 

これも胸に刺さった楔が残し続けている効果のひとつでしかないのかもしれない。

 

彼は生きていた。そして死んだ。その2つが彼を私にとってのヒーローであり続けさせる。強烈にポジティブで強烈にネガティブな相反する感情の板挟みで、苦しみながら笑いながら全てを引きずって私も生きる。