ジェットコースターに乗らない人は怖い話を読む

 結局何がしたかったのか、何を取り入れてもどこにもたどり着かない。

自分が確固たる事実だと断言できていたものが如何に実体がなく環境依存的だったのか。

お金と時間をかけて、現実味だけが薄れていく。

 

昨晩家の前の道を歩いている時、遠くを白い犬が横切った。

「犬。」と声に出した。

(最近頭が根詰まりを起こさぬよう、思い浮かんだ言葉を口に出すようにしている。)

その直後「犬ってなんだ。」と口について出た。

目の前を通ったモノが「犬」であることはわかる。

ただ、それが何を意味するのかが結びつかない。

「犬」は私に何かを想起させていたはずだ。

この世で触れたことのあるモノすべてが私の記憶と紐付いているのだから。

ただ、その時の私には「犬」が自分にとってどういう存在で、犬を見る度に多少なりとも反応していたはずの心の動きがどのようであったかを、何一つ思い出すことができなかった。

 

それで初めて気づいた。自分が感じている現実との乖離の正体が「人生にあふれる記号の意味、またはそれら記号と記号の結びつきが理解できないこと」であることに。私が家路を辿ることも、時間を調べて電車にのることも、仕事をすることも、友人と話すことも、休みの日にジャズのレコードを聞くことも、もしかしたら展覧会で美しい絵に出会うことも、今の私にとってはただ昔の行動を反復しているだけで、その全てがなんの意味もなしていないのかもしれない。

 

そう思った瞬間、目の前の景色が大きく崩れた気がした。

階段がぐにゃりと歪んで、境界線が溶け合って、とてつもなく恐ろしかった。

それでも足は立ち止まることなくきちんと階段を上がる。

私は一度も踏み外すことなく階段を上りきることができる。

 

相変わらずの暗渠での生活。

慣れたもので、気づいてもいなかった。

もう取り返しはつかないのか。

今日、人生で初めてトイじゃないプードルを見た。(メモ)

7月8日(土)9日(日)

長距離バスで往復8時間

一人温泉旅行

一日目:

バスターミナルを降り立った瞬間、硫黄の匂いにむせる。

宿にチェックインしようとするが受付に誰もいない。そもそも受付がない。

足元を見るとペライチに「近所にいます。電話してください。(電話番号)」。

記載された電話番号へかけると、1分ほどで男の子と共に30歳くらいの女の人が現れる。

どうやら宿と自宅を兼ねているようで、明るいが客に無関心。

普段ならちょうどよい距離感だと感じるかもしれない。

荷物を置き、温泉街を一通り回る。

気持ちのいい温泉と感じの良い人たちと美味しいご飯と幸せな空気。

とろけるような心持ちで、朝風呂に備えて22時頃布団に入る。

目をつむった瞬間、私の頭が作り出したただただ恐ろしいだけの映像が次々と現れる。

楽しみなことがあるといつも眠れない。

夜眠れないのは、苦しみしかない。

鳥の声が聞こえ始めたので、諦めて起き上がり朝日を見ながらタバコを吸う。

 

二日目:

恐ろしくいい天気。

賽の河原をモチーフにした公園を通って、歩いて露天風呂へ。

広くて心地の良い湯だが、日差しが強く落ち着かない。

眠気に暑さが相まって、自分が何をしているのかわからなくなっていく。

温泉街から徒歩10分ほどの場所にある熱帯園へ。

ワニ、カメ、カエル、ヘビなどの美しい動物たち。

夢見心地で後にする。

温泉街に戻り蕎麦と日本酒。

 

7月14日(金)

22時過ぎに帰宅。

一通り掃除を済ませ、生活に必要なものを買い出しへ。

その足で近くの居酒屋へ行き、晩御飯とする。

同居人も合流し、一杯ずつ飲んでカラオケへ。

帰宅後、壁に貼るポスターの選り分け作業。

4時頃就寝。

 

7月15日(土)

12時頃起床。

布団の中でゴロゴロしながら「13時間ーベンガジの秘密の兵士たちー」を観る。

同居人の録画リストの中にあった作品だ。

それほど不快でもグロテスクでもアクションでもシリアスでもなかった。

見終わった後は家族へ送る温泉旅行土産を封筒へ。

メッセージカードも同封し、カバンへ詰める。

身支度を整えて、2人で近くの喫茶店へ行き、日曜日に観る演劇を選んだ。

同居人がストックしているチラシから選ぶのだ。

その場でチケットを予約し、店を後にする。

何をしたいか悩んだ結果、古着屋とレコード屋に寄る。

古着屋は大した成果はなかった。

レコード屋は、バイトの女の子がとても明るくて可愛くて好きだった。

休日でもやっている郵便局へ行き、土産を送る。

歩いて隣の駅の銀行へ。

銀行の用事が終わり、時刻は夕方18時。

なんでもできるが、何がしたいかわからない。

結局飲みに行くことにして、近くのHUBへ。

1杯飲んで、そのまま丸亀製麺でしめる。

21時頃帰宅。

部屋の壁に、ポスターやポストカードを貼る。

高畑勲監督「セロ弾きのゴーシュ」を鑑賞。

 

7月16日(日)

9時半頃起床。

同居人と共に演劇を観る。

渡邉りょうという俳優さんがとても素敵だった。

劇場の隣の焼肉屋で遅めの昼ごはん。

連れはハラミ定食、私は石焼ビビンバ。

その後、お金を払って広くて気持ちいい原っぱで時間を潰す。

連れはそこをとても気に入って、葉っぱが付くのも気にせず寝転がっていた。

原っぱを出た後は近くの古書店へ。

一冊の漫画雑誌を買う。

その後東急ハンズへ。

目的は、トルコで買った絵に合う額を見つけるため。

額が完成するまでの間、子連れ向けカフェで漫画雑誌を読んで時間を潰す。

アル・キリアンというトランペット奏者についてのコラムが面白かった。

ジャズを勉強したい。

額を受取り帰宅。

同居人は昼寝。私は読書。

夕食は自宅近くのラーメン屋。

太め縮れ麺であまり好みではなかったが、同居人の好きなものを食べれて嬉しい。

 

7月17日(月)

起床即ジャズを勉強する。

その内同居人が映画を見始めたので、別の部屋に移り調べ物の続き。

途中2人でお茶漬けを食べる。

映画終了後、身支度を整えて電車で30分かけて初めての街へ。

レコード屋でジョン・コルトレーンヴィレッジヴァンガードアゲインを購入。

連れは友部正人のにんじん。

買ったレコードを持って、レコード屋の近くの喫茶店へ。

大学時代に少し縁のあった、今は焼失した喫茶店の姉妹店だ。

考え事をしながら読書など。

映画を観に行く予定を取りやめて帰宅。

各自食べたいものを作る。

私はパスタ。同居人はうどん。

ジョージ・ロメロの追悼で「死霊のしたたり」を鑑賞。

お酒を飲みすぎた。

 

7月18日(火)

昨夜観に行かなかった作品の監督が急死した。

47歳だった。

心底後悔した。

同居人がやりたいと思うことを、私がdisturbしていい権利はない。

 

7月21日(金)

同居人との暮らしのバランスを取るため、大学時代のサークルの友人と会う。

久々に自分たちが至高だと思っていることに関して語り合うことができた。

と少なくともその時は感じていた。

 

7月22日(土)

同居人とともに9時頃起床。

同居人は一日取材。

午前中に掃除・洗濯・買い物・公共料金の支払。

午後、大好きなイラストレーターさんの個展へ。

汗だくで作品鑑賞。

ポストカードを購入。

個展の会場から徒歩30秒にある霊園のすぐ目の前にあった喫茶店へ。

300円のアイスミルクティーを飲みながら常連と店主の会話に耳を澄ませる。

涼んだ後は、大学時代に関わりのあった人と会う。

食べることを忘れていた上に暑さと水分不足で、頭がかなり朦朧としていた。

結局家にお邪魔して、「シンドラーのリスト」と「ノーカントリー」をダイジェストで説明してもらう。

その後2駅移動して、今度は学部の友達と焼肉へ。

同居人の取材が終わるまで喫茶店でこのブログを書いていた。

書き終わらなかったので、帰宅後に書いている。

 

 

横浜の青さとカッパドキアの白い砂

はるか昔、私が子供で、つまりは家の外をまだ恐竜が闊歩していた時代。

私の家には小鳥が二羽住んでいた。

 

彼らはとても美しかった。美しい白文鳥だった。

口を開けると頭を突っ込んできて歯を掃除してくれたし、名前を呼ぶと返事をしてくれた。

 

 

今でも彼らの残した白い糞尿の跡が家のあちこちにあるはずだ。

彼らがいなくなってから、「どうか消さないでくれ」と家族に頼んだのだ。

 

彼らは、兄がこの世を去ってから半年近くが経ったころ、母への誕生日プレゼントとして家に来た。

学校に行っていなかった私は、必然的に一番長い時間彼らといることになった。

 

恐ろしくなるほど小さくて美しくて、自分たちの美しさを理解していない彼らは、私の最高に幸せな悩みの種だった。

後先考えずに飛び回って家の中の穴という穴にハマるので、10分でも彼らの姿が見えないと不安になって家中を探し回った。

ほとんど育児ノイローゼのような状態になりながら、一日の大部分を彼らと共に過ごしていた。

紛れもなく、私のこれまでの人生でもっとも愛しい時間だった。

 

美しいモノと時間を過ごすということがどういうことか想像できるだろうか。

瞬間々々が克明に記憶に焼きつき、その後の人生に影を落とす。

命を持つ美しさの暴力に、人はアテられるのだ。

 

彼らの美しさもまた、私の人生に褪せることのない傷を植えつけた。

共に過ごした時間が短っただけに、その鮮やかさは比べようもなく強烈で、私は面食らって、立ち尽くして、その悲しささえも美しいと感じることしかできなかった。

 

もう二度と、あれほどの親密さを持って、自分より儚いモノと関わることなどできない。

だから、いつか自分一人の部屋を持ったら、銀でできた小鳥の置物を買おうと思う。

美しいモノへの畏怖と賛辞を表するために。