陽に照らされた娘を見たとき、彼女の髪がオリーブがかっていることに気がついた。
ジョン・レノンが伝説として後世に名を残しているのは、彼が死んだからだ。
死はそれだけで残された人々に拭えない何かを強烈に残していく。ましてや彼のセンセーショナルな最期は、それが残したものも含めて、言葉を選ばなければ彼の人生に相応しいものだったのではないだろうか。
常々思っていることだが、人の命の重さは平等である。それは明白な事実だ(と断言する)。ただ、その大きさには違いがあるのではないだろうか。それはきっと生前(相互的、一方的含め)関わりを持った人数にそのまま比例する。命が球体で死が爆発だとして、直径が大きくなればなるほど爆発に巻き込まれる人数も増えていく。
ジョンの死はまだ爆発を続けている。Imgineは反戦の象徴として教科書に載り世代を超えて歌い継がれているし、リアルタイムでビートルズを知らない世代にとってジョン・レノンのイメージはそこに直結しているだろう。それは彼が持つ耳心地の良い、一般的な倫理規範に照らし合わせたときに受け入れられやすい側面だけがスポットライトで照らされている状態であり、彼のステージ上での十八番のひとつが悪意を孕んだ身体障害者のモノマネだったことや、ヨーコに出会う前後の彼がシンシアやジュリアンにした仕打ちが言及されることはあまりない。死は人を神格化するのだ。
ところで、私が所属している会社のコミュニケーションツールには、毎日ランダムで質問が投げかけられるという機能がある。ある日、こんな質問が届いた。「あなたにとってのヒーローは誰ですか?」私は何人かの顔を頭に浮かべたが、すぐに該当の人物に思い至る。兄だ。
私より8年早く産まれた彼は、小さい頃から親に迷惑をかけたことのない優等生の鑑のような人物だった。成績は常に学年で1位2位を争い、実家の壁には部活動の大会で受賞した賞状が何枚も飾られている。当然の如く高校は進学校だし、狙っていた国立大学にも現役で合格、卒業後は誰もが名を知る大手企業へすんなりと入社した。婚約者もできたようだ。これ以上ない順風満帆な人生を歩み始めた24歳の時、彼は死んだ。
そのとき私は16歳の誕生日を迎えたばかりで、あいも変わらず不登校に悩んでいた。彼の死を知らされたその日はたまたま学校に行くことができた日で、5限目の体育の授業に参加していた。担任が神妙な面持ちでグラウンドへ現れて、私の名を呼んだ。職員室へ向かうとそこには強ばった顔つきの母親がいて「○○が亡くなった」と一言だけつぶやいた。私に向けた言葉だったのかどうかも定かではない。あぁ自殺したんだと直感したし、それは正しかった。その瞬間まで兄が自ら死を選ぶことなど想像したこともなかったはずなのに、それはさほど驚くことでもないような気がした。(その感覚は今思えば必然にも近い様々な要因が絡み合った自然な発露だった。)
彼の死については折に触れて考え続けているし、今や10年以上が経過している話なのでここでは置いておく。気になっているのは、私にとって兄がヒーローだと感じるのは、彼が死んだからなのだろうかという点だ。私の中の彼は神格化され、功績だけが美化され輝いているのだろうか。彼が死んだ今、いくら頭を悩ませてもきっと結論は出ないだろう。不毛な行いだと分かっていても、それでも思考を止めることは難しい。
死に憧れる人がいることは知っている。賛美に値する死に様があることも理解している。それでも事実を選り分ければ、こと若くしての死は絶望しか残さない。そのことを私は深く感じ取る。兄の死は抜くことのできない楔のように私の心臓を貫いている。それと同じくらい、彼が生きていた事実も私の中に足跡を残している。悩み苦しむ期間の方が長かっただろう。心から笑ったことなど数えられるほどかもしれない。それだけ彼は真摯に、誠実に生きていた。絶望の淵に追いやられたその最後の瞬間まで、(文字通り世界中の)誰に対しても胸を張って生きられる道を選び続けていた。その姿こそが私にとってのヒーローだ。そのことは彼も知っていただろう。
ヒーローでなんてなくてもよかった。楽に生きてほしかった。他人を傷つけてもよかった。自分や他人が思い描くヒーロー像など、早々にぶち壊してしまえばよかった。期待などかなぐり捨てて、心から愛せる自分と共に生きてほしかった。その彼を私はヒーローと思わないかもしれない。私にとってはヒーローとしての彼の方が価値があるかもしれない。だがそれだなんだというのだろう。ふと頭をもたげる彼に生きていてほしいというエゴが私を苦しめる。
これも胸に刺さった楔が残し続けている効果のひとつでしかないのかもしれない。
彼は生きていた。そして死んだ。その2つが彼を私にとってのヒーローであり続けさせる。強烈にポジティブで強烈にネガティブな相反する感情の板挟みで、苦しみながら笑いながら全てを引きずって私も生きる。
打ち捨てられた衣服たちと、オレンジ色の照明に包まれる部屋
2月3日(土)の日記
2週間も前から楽しみにしていた陶芸体験に、2人揃って寝坊して行けなかった。
この間の雪の日も、降るとわかっていたのに当日の朝に意気揚々と洗濯を干してびしょ濡れにしてしまった。
でも、陶芸は来週予約し直せばいいし、洗濯は部屋干しでもちゃんと乾いた。大丈夫だ。
一日の計画を立て直す。
2人で湯船に使って清い状態にする。
私は皮膚科に行くために身支度を整え、同居人は昨夜寝落ちして観れなかった「オン・エッジ 19歳のカルテ」を観直していた。
そういえばこの映画は、むかしむかし10歳くらいの頃にケーブルテレビを回していてぶち当たった映画だ。
昨日観るまですっかり忘れていた記憶だったが、トリシア・ヴェッセイを観た瞬間ズバリと思い出した。
当時観たのはキリアン・マーフィとトリシア・ヴェッセイが性行為の真似事をするシーンで、何かとてつもなく見てはいけないものを見てしまった気がしてすぐにチャンネルを変えてしまった。
もしかすると自分にとっての性行為の原風景的なものはこの映画なのかもしれない。
といっても別に自分の血を見て興奮することはないが・・・。
ただ、自傷に対する抵抗のようなものはあまり無かったような気がする。
こう書いてしまうと悪い影響を受けたような印象になるが、個人的にはそんなに悪いこともないような気がしている。
でも実際に自分が自傷癖を持つようになってしまっているので、どうなのか・・・。
まあでも別にこの映画せいというわけでもないし、そんなことはどうでもいい。
皮膚科は休みだった。第一土曜日は定休日らしい。覚えておこう。
すごすごと帰宅して、同居人と共に洗濯を干した。
今回は事前に天気予報をチェックして、今日も明日も晴れることを確認した。完璧だ。
その後お昼ごはんを食べに出かけた。
同居人が気に入っているラーメン屋さん。
同居人はまぜそば、私は鳥白湯を半分。それと2人で恵比寿の小瓶。
食後はブックオフに寄った。
怖い話をまるまる一冊立ち読みしている間に、同居人は本を10冊以上買い込んでいた。
とても楽しそうだったので、嬉しい。
お腹もいっぱいな上に荷物も重かったので、そのまま新宿へ遊びに行く予定だったところを取りやめて、家でダラダラすることにした。
午後の大半を、レコードを掛けながら読書をして過ごす。
私はトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す」、同居人は木村紺の「神戸在住」(同居人が面白い面白いとしきりに言うので少し読んでみたが、あまりピンと来なかった。神戸がなじみの土地すぎるのかもしれない。)
レコードはジョン・コルトレーンの「Live at the Village Vanguard Again!」、「Please Warm My Weiner (Old Time Hokum Blues)」、「Blind Willie McTell / Curley Weaver / Buddy Moss – Atlanta Blues 1933」、最後にビートルズの「Revolver」。
読書のお伴はスーパーニッカとバッカス。休みの日は昼間から飲酒すると決めているのだ。
レコードを3枚聴き終わったので、寝てしまっていた同居人を起こして、再び出かける準備をする。
映画を観に行くのだ。
「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。
同居人が東京国際映画祭で観てとてもおすすめしていた映画だ。
観終わった後は西新宿の居酒屋で一通り映画の話をする。
お互いわかったようなわからないようなことを言い合うのは楽しい。
同居人はひどく口下手なので、言い合うという感じでもないが・・・。
終電もすっかりなくなったので、タクシーで帰宅。
タクシーに乗り込む時にしたたか頭を打ち付けた。
ずっとふわふわして楽しくて、よく笑った一日だった。
明日は髪を切ったり展覧会に行ったり頭の中を整理したりする日だ。
同居人と過ごせないのは寂しいが、一人に慣れることも必要だろう。
モスグリーンのあたたかそうなセーターが、ぐたりとハンガーにかかっている。
この間朝起きた時の話。
使っている目覚まし(恥ずかしい話私は朝が起きれない、というか起きなければならないという思考が欠落しているため、上司がいつの間にか買ってデスクの上に置いていった負のプレゼント)の凄まじい音で飛び起きた瞬間、口から「お会いsdfのがぱdf@かんglj」という音が出た。
正確には、一つ一つの単語は日本語なのだが、文章のつながりがむちゃくちゃな言葉の羅列。
形容し難いが、「居るべき場所を見つけるのに間に合わなかった言葉たち」が口からモロモロと吐き出される感覚だった。
「人は夢を見ることで頭の中を整理する」というのを実感した現象だった。
そんなこともあるのか〜と考えている内に気づいたら二度寝していたので、結局寝坊した。
毎日の話。
大体20時半〜21時くらいに帰宅する。
最近寒いので2人で鍋をすることも増えたが、大体は同居人の帰宅を待たず惣菜か何かでぱっぱと夕食を済ますことが多い。
だから、同居人が帰ってきた時にはすっかり飲酒モードである。
それが厄介で、だいたい酔っ払ってしまっていて、疲れている同居人に瑣末でどうしようもない、その上ややこしい話を振ってしまう。
誰かに聞いてほしいという感情だけが先走った、みそっかすのような話だ。
見本のような絡み酒である。
自分にとってはもちろんどうでもよくない話である。
根底にあるのはいつだってこれからの人生をより良いものにしたいという思いだからだ。
それでも相手にとっては、ただ一緒に住んでるだけでそんな話を毎日ふっかけられたら堪ったものではないだろう。
更に悪いことに、これはもう遺伝としか言い様がないのだが議論をしている最中の顔が相当怖い。
ほぼ半ギレである。
毎日反省仕切りなのだが、どうもうまくいかない。
鬱屈した気持ちを声に出して発散しているというのでもなくて、恐らく…
まぁいいや。
村上春樹の「スプートニクの恋人」を随分昔、中学3年生くらいの時に読んだ。
読んだ時は、スミレというヒロインにとてつもなく腹が立ったし、主人公の、上限が低目に設定された感情の起伏に惹かれた。
何年後かしてふと振り返ると、自分がスミレと共通点をいくつか持っているという事実にぶち当たった。
だから腹が立ったのかと合点がいった。
ブカブカのブーツやらブカブカのコートを着ていたり、友達はほとんどいなかったり、浮かんだ疑問をその数少ない友達にぶつけまくったり。
あとは、頭の中をすべて文字にしないと思考が進まなかったり。
同居人に聞いたら、頭の中に文字が浮かんでパンパンになって苦しく感じることはほとんどないと言っていた。
だから一定数の人は、文字がなくても生きていけるのだろう。
不思議だ。
毎日毎日栓を抜いて頭の中を入れ替えたい。
だからといって毎日議論をふっかけられたらそれは嫌になるだろう…。
むむむむ。
こうして誰も読まないブログにべろべろと綴るのはそれほど悪いことではないような気がする。
だれも読まないのはとても重要だ。
隣駅にフヅクエという感じの良い(でも長時間滞在するには少しお高い)書き物のできるカフェもあるし、日記でもいいし(恩師にもらった素敵な万年筆を持っているのだ)・・・。
いくらでもあるのだが、つい目の前に気を許した人がいると話しかけてしまう。
困った。
■
11月25日(土)の日記
昨夜は美しい人と会った。美味しい料理を挟んで、色々な事柄を話した。人は往々にして会話をすることで、心情・理念・あるいはそれらに成る前の核を吐露し、机上に並べる。そういったモノたちをお互いに眺め合うことで、目の前にいる人の人となりに輪郭を与える。だからこそ、尊敬し崇拝する存在の前では思わず萎縮するのだ。自らの言動・身だしなみ・所作の端々からにじみ出るそういったモノたちを掬い取られ、理解されてしまうことを恐れて。話が逸れた。本題は、美しい人だ。昨夜は往々にしての例には当て嵌まらなかった。ただ物理的に距離が縮まって、ほんの2,3時間その位置にお互いが留まって、また元の距離に戻っていったという形容が近いだろうか。そこにあるのは本当にただ物理的距離の問題だけだった。昨日読んでいた本に、“いかにも親密そうな、それでいて中身のない会話”という表現が出てきた。描写するのであれば恐らくこの文言が適切である。本の文脈と私が今話しているそれとの違いは、前者は明確にシニカルな響きを示しているのに対し、後者はネガティブかポジティブかその中間か、そこの判断すらついていないところだ。美しい人に対するカタチを取らない様々の想いが、気づくと目の端で裾をチラつかせる。捉えることのできないそれらが心に少しずつノイズを起こす。帰り際、店の壁に擦れた美しい人の美しい上着が汚れてしまっているのが目に入った。私はそれを教えなかった。美しい見た目になりたいと思った。
今日は、コーデュロイの黒いセーターに光沢のある紺のミモザ丈スカート。その上から薄水色のスプリングコートを羽織り、足元は紺色に染められた革と茶のスエードが組み合わさったブーツを履いている。カバンは緑と青の中間色に染められた革製のトートを選んだ。寒いかもしれないと巻いてきた青と赤のチェック柄のマフラーは暑くなってきたので、歩き出して早々に外してカバンにしまった。家を出てひと駅分東に歩く。使っている銀行のATMが隣の駅にしか無いのは不便だ。用事を済ませてから、今日の大きな目的である“『たゆたえども沈まず』読了”を達成するため“フヅクエ”というカフェに入る。読者をするあるいは一人の時間をゆっくり過ごすためのカフェであるらしい。アイリッシュ・コーヒーとドライフルーツ盛り合わせを注文して、本を読み進める。気づいたら6時間も滞在していた。途中煙草を吸いたくなったので、店主さんにポケット灰皿を借りて店の前の電柱の脇で煙草を一本吸った。喫煙時はそうするようにとメニュー表に指定があった為だ。その店はあらゆる行為に対して明確な指示がされており、店内では最低限の会話しか発生しないように設計されているようだ。そのせいでメニュー表がA4サイズ20枚位に上っており、全部読んだので注文までに10分ほどを要した。煙草を吸っている時に気づいたのだが、陽が傾き始めていたので外は思っていたより冷えていた。それに加えて座った席が運悪く窓際だったことも相まって手がかじかんでしまった。何か温かいものを飲みたくて、メニュー表をパラパラと捲る。ホットカクテルの項目があったので、おすすめを聞いてみた。本当はホットビールが飲みたかったがなかったのだ。あの店の雰囲気にきっと合うので、ぜひ加えてほしいところではあるが。おすすめされたのはホットジンスリングという温かいレモネードにジンを加えたようなカクテル。とても美味しかった。5時間も滞在したためくだんの書籍はとうに読み終わっていた。これでやっとゴッホ展に行ける。その後恋人とゴッホの映画も観に行こうか。いや、できれば展覧会の前に映画も見ておきたい。色んな人のゴッホを観たい。私の中のゴッホが固まってしまわない内に。
<以下、店内でのメモ書き>
今座っている席からそのまま視線を窓の外に伸ばすと、向かいのビルの一階に入っているフレンチだろうか、レストランの中が見える。家族連れらしき数名がコース料理を楽しんでいるようだ。会話まで聞こえてくるような、見ているだけで和気あいあいとした雰囲気が伝わってくる。彼らは少なくとも2時間は食べ続けている。自分はこの店に6時間居座っているので決して他人様のことは言えないが。中の様子が見えるのは窓ガラスが2枚はめ込んであるためである。窓ガラスに最も近い席に座っているのは、少し頭頂部が寂しくなった初老の男性のようだ。私が今居るのが2階なので、自然と上から見下ろすカタチとなるのだ。よく話す人のようで、身振り手振りを交えながら向かいの席に何かを語りかけている。重心を少し左へ傾けると、覗いている窓ガラスと窓ガラスの間の壁が移動して、初老の男性を隠した。代わりに向かい側の席に座っている人物が現れる。先程までの人物より少し若い、こちらも男性のようだ。角度が悪く、顔の上半分はあまり見えない。Vネックのニットを着ており、白いYシャツの襟を外へ出している。初老の男性へ受け答えをする口元は常に笑みが湛えられていて、穏やかな人物であることがうかがえる。ケータイの充電が切れそうだ。そろそろ店をでなければならないとは思っているのだが、恋人には連絡がつかないし、そんな状態で寒空の下トボトボ一人で歩くのは想像しただけでもとても寂しい。文字を出して頭の中を整理すれば次の行動のきっかけでも思いつくかもしれないとこの日記を書き始めたが、終りが見えてもまだ何も思い浮かばない。とりあえず店を出て、恋人へ電話でもしてみよう。それからどこへ向かうか決めよう。
演劇を観てはじめて涙を流した話
ジェットコースターに乗らない人は怖い話を読む
結局何がしたかったのか、何を取り入れてもどこにもたどり着かない。
自分が確固たる事実だと断言できていたものが如何に実体がなく環境依存的だったのか。
お金と時間をかけて、現実味だけが薄れていく。
昨晩家の前の道を歩いている時、遠くを白い犬が横切った。
「犬。」と声に出した。
(最近頭が根詰まりを起こさぬよう、思い浮かんだ言葉を口に出すようにしている。)
その直後「犬ってなんだ。」と口について出た。
目の前を通ったモノが「犬」であることはわかる。
ただ、それが何を意味するのかが結びつかない。
「犬」は私に何かを想起させていたはずだ。
この世で触れたことのあるモノすべてが私の記憶と紐付いているのだから。
ただ、その時の私には「犬」が自分にとってどういう存在で、犬を見る度に多少なりとも反応していたはずの心の動きがどのようであったかを、何一つ思い出すことができなかった。
それで初めて気づいた。自分が感じている現実との乖離の正体が「人生にあふれる記号の意味、またはそれら記号と記号の結びつきが理解できないこと」であることに。私が家路を辿ることも、時間を調べて電車にのることも、仕事をすることも、友人と話すことも、休みの日にジャズのレコードを聞くことも、もしかしたら展覧会で美しい絵に出会うことも、今の私にとってはただ昔の行動を反復しているだけで、その全てがなんの意味もなしていないのかもしれない。
そう思った瞬間、目の前の景色が大きく崩れた気がした。
階段がぐにゃりと歪んで、境界線が溶け合って、とてつもなく恐ろしかった。
それでも足は立ち止まることなくきちんと階段を上がる。
私は一度も踏み外すことなく階段を上りきることができる。
相変わらずの暗渠での生活。
慣れたもので、気づいてもいなかった。
もう取り返しはつかないのか。
今日、人生で初めてトイじゃないプードルを見た。(メモ)
7月8日(土)9日(日)
長距離バスで往復8時間
一人温泉旅行
一日目:
バスターミナルを降り立った瞬間、硫黄の匂いにむせる。
宿にチェックインしようとするが受付に誰もいない。そもそも受付がない。
足元を見るとペライチに「近所にいます。電話してください。(電話番号)」。
記載された電話番号へかけると、1分ほどで男の子と共に30歳くらいの女の人が現れる。
どうやら宿と自宅を兼ねているようで、明るいが客に無関心。
普段ならちょうどよい距離感だと感じるかもしれない。
荷物を置き、温泉街を一通り回る。
気持ちのいい温泉と感じの良い人たちと美味しいご飯と幸せな空気。
とろけるような心持ちで、朝風呂に備えて22時頃布団に入る。
目をつむった瞬間、私の頭が作り出したただただ恐ろしいだけの映像が次々と現れる。
楽しみなことがあるといつも眠れない。
夜眠れないのは、苦しみしかない。
鳥の声が聞こえ始めたので、諦めて起き上がり朝日を見ながらタバコを吸う。
二日目:
恐ろしくいい天気。
賽の河原をモチーフにした公園を通って、歩いて露天風呂へ。
広くて心地の良い湯だが、日差しが強く落ち着かない。
眠気に暑さが相まって、自分が何をしているのかわからなくなっていく。
温泉街から徒歩10分ほどの場所にある熱帯園へ。
ワニ、カメ、カエル、ヘビなどの美しい動物たち。
夢見心地で後にする。
温泉街に戻り蕎麦と日本酒。
7月14日(金)
22時過ぎに帰宅。
一通り掃除を済ませ、生活に必要なものを買い出しへ。
その足で近くの居酒屋へ行き、晩御飯とする。
同居人も合流し、一杯ずつ飲んでカラオケへ。
帰宅後、壁に貼るポスターの選り分け作業。
4時頃就寝。
7月15日(土)
12時頃起床。
布団の中でゴロゴロしながら「13時間ーベンガジの秘密の兵士たちー」を観る。
同居人の録画リストの中にあった作品だ。
それほど不快でもグロテスクでもアクションでもシリアスでもなかった。
見終わった後は家族へ送る温泉旅行土産を封筒へ。
メッセージカードも同封し、カバンへ詰める。
身支度を整えて、2人で近くの喫茶店へ行き、日曜日に観る演劇を選んだ。
同居人がストックしているチラシから選ぶのだ。
その場でチケットを予約し、店を後にする。
何をしたいか悩んだ結果、古着屋とレコード屋に寄る。
古着屋は大した成果はなかった。
レコード屋は、バイトの女の子がとても明るくて可愛くて好きだった。
休日でもやっている郵便局へ行き、土産を送る。
歩いて隣の駅の銀行へ。
銀行の用事が終わり、時刻は夕方18時。
なんでもできるが、何がしたいかわからない。
結局飲みに行くことにして、近くのHUBへ。
1杯飲んで、そのまま丸亀製麺でしめる。
21時頃帰宅。
部屋の壁に、ポスターやポストカードを貼る。
7月16日(日)
9時半頃起床。
同居人と共に演劇を観る。
渡邉りょうという俳優さんがとても素敵だった。
劇場の隣の焼肉屋で遅めの昼ごはん。
連れはハラミ定食、私は石焼ビビンバ。
その後、お金を払って広くて気持ちいい原っぱで時間を潰す。
連れはそこをとても気に入って、葉っぱが付くのも気にせず寝転がっていた。
原っぱを出た後は近くの古書店へ。
一冊の漫画雑誌を買う。
その後東急ハンズへ。
目的は、トルコで買った絵に合う額を見つけるため。
額が完成するまでの間、子連れ向けカフェで漫画雑誌を読んで時間を潰す。
アル・キリアンというトランペット奏者についてのコラムが面白かった。
ジャズを勉強したい。
額を受取り帰宅。
同居人は昼寝。私は読書。
夕食は自宅近くのラーメン屋。
太め縮れ麺であまり好みではなかったが、同居人の好きなものを食べれて嬉しい。
7月17日(月)
起床即ジャズを勉強する。
その内同居人が映画を見始めたので、別の部屋に移り調べ物の続き。
途中2人でお茶漬けを食べる。
映画終了後、身支度を整えて電車で30分かけて初めての街へ。
レコード屋でジョン・コルトレーンのヴィレッジヴァンガードアゲインを購入。
連れは友部正人のにんじん。
買ったレコードを持って、レコード屋の近くの喫茶店へ。
大学時代に少し縁のあった、今は焼失した喫茶店の姉妹店だ。
考え事をしながら読書など。
映画を観に行く予定を取りやめて帰宅。
各自食べたいものを作る。
私はパスタ。同居人はうどん。
ジョージ・ロメロの追悼で「死霊のしたたり」を鑑賞。
お酒を飲みすぎた。
7月18日(火)
昨夜観に行かなかった作品の監督が急死した。
47歳だった。
心底後悔した。
同居人がやりたいと思うことを、私がdisturbしていい権利はない。
7月21日(金)
同居人との暮らしのバランスを取るため、大学時代のサークルの友人と会う。
久々に自分たちが至高だと思っていることに関して語り合うことができた。
と少なくともその時は感じていた。
7月22日(土)
同居人とともに9時頃起床。
同居人は一日取材。
午前中に掃除・洗濯・買い物・公共料金の支払。
午後、大好きなイラストレーターさんの個展へ。
汗だくで作品鑑賞。
ポストカードを購入。
個展の会場から徒歩30秒にある霊園のすぐ目の前にあった喫茶店へ。
300円のアイスミルクティーを飲みながら常連と店主の会話に耳を澄ませる。
涼んだ後は、大学時代に関わりのあった人と会う。
食べることを忘れていた上に暑さと水分不足で、頭がかなり朦朧としていた。
結局家にお邪魔して、「シンドラーのリスト」と「ノーカントリー」をダイジェストで説明してもらう。
その後2駅移動して、今度は学部の友達と焼肉へ。
同居人の取材が終わるまで喫茶店でこのブログを書いていた。
書き終わらなかったので、帰宅後に書いている。