モスグリーンのあたたかそうなセーターが、ぐたりとハンガーにかかっている。

この間朝起きた時の話。

使っている目覚まし(恥ずかしい話私は朝が起きれない、というか起きなければならないという思考が欠落しているため、上司がいつの間にか買ってデスクの上に置いていった負のプレゼント)の凄まじい音で飛び起きた瞬間、口から「お会いsdfのがぱdf@かんglj」という音が出た。

正確には、一つ一つの単語は日本語なのだが、文章のつながりがむちゃくちゃな言葉の羅列。

形容し難いが、「居るべき場所を見つけるのに間に合わなかった言葉たち」が口からモロモロと吐き出される感覚だった。

「人は夢を見ることで頭の中を整理する」というのを実感した現象だった。

そんなこともあるのか〜と考えている内に気づいたら二度寝していたので、結局寝坊した。

 

毎日の話。

大体20時半〜21時くらいに帰宅する。

最近寒いので2人で鍋をすることも増えたが、大体は同居人の帰宅を待たず惣菜か何かでぱっぱと夕食を済ますことが多い。

だから、同居人が帰ってきた時にはすっかり飲酒モードである。

それが厄介で、だいたい酔っ払ってしまっていて、疲れている同居人に瑣末でどうしようもない、その上ややこしい話を振ってしまう。

誰かに聞いてほしいという感情だけが先走った、みそっかすのような話だ。

見本のような絡み酒である。

自分にとってはもちろんどうでもよくない話である。

根底にあるのはいつだってこれからの人生をより良いものにしたいという思いだからだ。

それでも相手にとっては、ただ一緒に住んでるだけでそんな話を毎日ふっかけられたら堪ったものではないだろう。

更に悪いことに、これはもう遺伝としか言い様がないのだが議論をしている最中の顔が相当怖い。

ほぼ半ギレである。

毎日反省仕切りなのだが、どうもうまくいかない。

鬱屈した気持ちを声に出して発散しているというのでもなくて、恐らく…

まぁいいや。

村上春樹の「スプートニクの恋人」を随分昔、中学3年生くらいの時に読んだ。

読んだ時は、スミレというヒロインにとてつもなく腹が立ったし、主人公の、上限が低目に設定された感情の起伏に惹かれた。

何年後かしてふと振り返ると、自分がスミレと共通点をいくつか持っているという事実にぶち当たった。

だから腹が立ったのかと合点がいった。

ブカブカのブーツやらブカブカのコートを着ていたり、友達はほとんどいなかったり、浮かんだ疑問をその数少ない友達にぶつけまくったり。

あとは、頭の中をすべて文字にしないと思考が進まなかったり。

同居人に聞いたら、頭の中に文字が浮かんでパンパンになって苦しく感じることはほとんどないと言っていた。

だから一定数の人は、文字がなくても生きていけるのだろう。

不思議だ。

毎日毎日栓を抜いて頭の中を入れ替えたい。

だからといって毎日議論をふっかけられたらそれは嫌になるだろう…。

むむむむ。

こうして誰も読まないブログにべろべろと綴るのはそれほど悪いことではないような気がする。

だれも読まないのはとても重要だ。

隣駅にフヅクエという感じの良い(でも長時間滞在するには少しお高い)書き物のできるカフェもあるし、日記でもいいし(恩師にもらった素敵な万年筆を持っているのだ)・・・。

いくらでもあるのだが、つい目の前に気を許した人がいると話しかけてしまう。

困った。