演劇を観てはじめて涙を流した話

2017年9月17日(日)
上野のマドンナーという喫茶店でブログを書いてる。
本当は”ボストン美術館の至宝展”に行こうと思って電車を乗り継ぎ乗り継ぎ(東京の電車に慣れていなくて、2度乗り過ごした)上野まで来たが、チケットを買う段階で財布に1300円しか無く断念した。
相変わらずボーっと生きている。
濡れ鼠で惨めったらしい気分なので、晴れた日にまた来よう。
 
昨日、下北沢のザ・スズナリという劇場で”ロロ”という劇団の”bgm”という演劇を観た。
演劇を観て、初めて涙した話をする。
 
舞台装置は左右にストリングカーテンが吊るされた天井近くまで高さのある可動式の衝立が2枚。バックには舞台の端から端まで埋め尽くす大きな棚が設置されており、関連性のない品々が並んでいる。中央には車を模した荷車がぽつんと。
それらすべてが恐らく手作りなので、劇場に足を踏み入れ舞台を目にした一発目の感想は「ちゃっちいな」だった。
今まで観た演劇は舞台装置を作り込むことで作品の世界観を作り出そうと試みているものが多かったから、戸惑ったのだ。
(開演直後にそんな気持ちは吹っ飛び、冒頭10分で感極まって涙することとなる…)
 
作品のテーマはドライブなので、基本的に主人公たちはその車に乗りながらストーリーが進む。
 
最初の感極まりの波は冒頭10分。男性2人組が高速をドライブしながら10年前を振り返る部分。「今とは違って曇り空で、今とは違ってビニール袋が飛んでいて」と言う言葉とともに最初のbgmが流れる。歌に合わせて舞台が(計算づくしに)わちゃわちゃと動いて、暴力的なまでにゴキゲンに観客は思い出に浸らせられる。もうだめだと思った。楽しくて目がチカチカとして舞台上にいる全員が羨ましくて吐きそうになった。
 
サービスエリアや浜辺、あるいは恐竜の化石の眠る地下何万メートルへと、観客は彼らとともに長い距離を移動する。
主人公たちの動きに合わせて舞台上は劇的に姿を変えていく。
ストリングカーテン付きの衝立は、時に”雨”に、時に”時系列あるいは空間を隔てるモノ”となり、劇のアクセントとして機能する。棚も同様で、時には”コンビニ”に時には”木”になり、舞台上にあるものすべてがリズミカルに動かされながら、観客はリアルタイムで空間が作られていくのを目の当たりにする。
座った席が舞台の真正面ということも功を奏し、人の動き、モノの動き、照明の動き、とにかくすべての動きが1秒たりとも無駄がなく、”見せる・見られる”ことが徹底的に意識されているように感じた。
そこに心地よいbgm(タイトルの通りキャラクターたちの心は音楽を通して表現される)が絡まり、適度に想像力が刺激された観客は各自の頭の中で細部を補完し世界にズブズブとのめり込んでいく。
舞台にあるものたちは場面ごとに別の意味を付与され、消えていってはまた別の意味を纏って現れる。メタモルフォーゼじゃないですか。
 
あまり演劇を観に行く方では無くて(大体恋人にくっついているだけなので)よくわからないが、演劇を観終わった後に外に出るとさっきまで舞台上で見せつけていた人たちが普通にいて、色々な人と話してて普通に目が合ったりして、たまらなくドギマギしてしまうあの瞬間はどうくぐり抜ければいいのか。一日経った今でも一人一人の顔やら所作やらが頭から離れなくて、手に入らないモノがすぐ近くにいたものだから尚更真っ二つにされている。困った。